2013/06/21

いじめられない為に誰かをいじめる奴

内田樹氏がいじめについて興味深い記事を書いている。
http://blog.tatsuru.com/2013/06/07_0838.php

「いじめられない為に誰かをいじめる」という行動をとる奴らが確かにたくさんいた。いじめられない為に,いじめる誰かを探すやつらを、俺はものすごく不快な気持ちで見ていた。汚れた便器を触るようなそんな気分だ。そして、俺はいじめられない為にいじめる奴らを横目に,決していじめはしなかった。誇りなんて言葉は知らなかったが,今、思い起こしてみれば、あれが誇りだったんだろうな。

俺は,内田氏が言うところの、「倫理意識の例外的に高い子ども」だったのかもしれない。だから、ちょっかいを出されたとしても、「俺に理がある」という強い意志を持っていられたし、憤りを感じこそすれ、屈する気などさらさら起きなかったのかもしれない。

うちの息子も,「倫理意識の例外的に高い子ども」になりつつあるw

小学校で意地の悪い奴がいるらしく、ちょっかいを出されているようなのだが、なぜかやり返そうとしない。力が無いわけでもない。頭は息子の方がはるかにいいらしいw 人に暴力を振るう奴は、理由の如何によらず人としてダメな奴だからだそうだw でも、「俺に理がある」という強い意志を持ち続けることができるのであれば、屈することは無いだろうし,ある意味心配は必要ないのかもしれないな。

でも、俺と同じく苦労するぜw >息子よ


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