新しい大阪市長、橋本旋風が吹き荒れていますな。
なるほど、最近の腰砕け政権には無い、国民を守るぞ!という面においての右翼的な振る舞い、人気が出るのも頷けます。だって聞けば聞くほど、大阪市の一部のクズっぷりはすさまじいものな。国旗、国家を敬わない日教組や左翼の傍若無人ぶりやら、逮捕者の割合とか、市の一部の公務員の給与のあまりの好待遇やら、半島べったりの政策やらね。よっぽど、大阪市民にはよっぽど怒りが鬱積してるんだろうな。かなり理解できる部分はある。
しかし、違和感を感じるのが、橋本の政策に対して少し反論、あるいは是々非々で反論する者に対しての、過剰な反発だ。例えば、香山リカさんや内田樹氏やらが、ネットでは時たま攻撃対象になっている。落ち着いて、彼らの意見を読んでみると、別に橋本市長を全面否定しているわけではない。そのあまりに何でも白黒つけようとするステレオタイプのやり方に、警告を発しているわけだ。
敵の敵は味方でなければならない、ってのはあまりに原理主義で危険だと思うね。あるいは、それぐらい原理主義的な信念を持たなくては戦えない相手なのかもしれない。同和ヤクザやら、日教組ってのは。
例えば、俺は内田樹氏のブログはたまにチェックしていて、彼の哲学は、俺の理系の物の見方からして、一目置いているのだ。別に、彼が同和ヤクザや日教組や半島の味方だとは思わないぞw
例えばだ。ある種における遺伝的性質、あるいは遺伝子の表現型の分布を対象に考えよう。遺伝子のみならず、その表現型には必ず分布がある。バリエーションと言い換えてもいい。この分布というのは、環境の変化に対して”耐える”為に必ず必要なんだよな。例えば何かの指標においてベストだとしても、それはその一見見えてはいない、意識していないかもしれない”特定の環境下”においてベストなだけなのかもしれない。そして、同じ特性、分布のない遺伝子、および表現型においては、たった一つのウィルス、たった一つの環境の変化によって全滅する可能性が生じてしまうんだな。ある種が永続するためには、分布が必要なのだよ。
例えば、優秀な人間ってどんなだろう?例えば現在の日本において優秀とされる特性ってのと、戦国時代において優秀とされる特性ってのは違うだろう?平和な現代の日本だからこそ、しょっぱいエリートが金持ちになれるのであり、その特性のまま戦国時代に現れたって活躍できるわけがない。はたまた、ダイハードの舞台に立てば勝てる人間てのはまた違った特性となる。どの特性が”ベスト”とは決まらないのだよ。
例えば抗生物質ってのがあるんだが、バイキンは殆ど抗生物質で死んでしまう。しかし、バリエーションの中に、ほんの僅か、ほんの僅かに抗生物質への耐性を持つバイキンが生じることがある。このバイキンはその抗生物質には耐えられるだろうが、おそらく抗生物質が存在しない環境においては無駄なタンパク質を合成していたり、あるいは効率の悪いシステムなのである。しかし、抗生物質存在下においては、唯一生き残る救世主となるのだ。実際、バイキンの救世主が繰り返し現れ、人類の英知である抗生物質はセフェム系に至っては最新の第4世代まで、耐性を獲得されてしまっている。MRSAって院内感染で問題になっているそれだ。生物ってのは分布によってカタストロフを乗り越えてきているんだな。
だから分布は存在するべきであるし、それはシステムの柔軟性と強靱性、言い換えれば外的変化への対応能力につながる。この考え方は、生物のシステムを少なからず学んだ人間には極めて常識的な考え方なんだが、どうも文系の奴らには理解しにくいらしい。
さて、橋本市長のやり方には分布を許容する余地はあるのか?その点において、理系である俺の視点から見て、確かに危うさを感じる。内田樹氏らが危ういと感じているのと同じように。もちろん、同和ヤクザ、日教組、半島系に対する強気の姿勢は高く評価するがね。
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