なんか体罰がいいのか悪いのかという論調なのだが。要点が違っている、あるいはわざと違えている。
ガキを指導しているんだから。ガキっていうのは要するに、大人じゃないって意味で。話せば分かる、解る、判る、ならいいのだがそこまで成長していないって意味でのガキ。
愛情をもって接してやるのは前提として、人となる前の人間ってのは、動物と一緒だろう。動物をしつけるときには、最低限たたくだろう。それはどうしていけないかを理解することができないから。あるいは理解するのに時間がかかってしまうから。混雑している人混みで、騒いでいる子にゴチンとするとする。その時に、「さわいではいけない。なぜならば・・・」なんてやるべきではないだろう。まずは、やってはいけないことを「覚える」。理解するのはそれからだ。覚える際に体罰は必要だ。
あと、体罰の良し悪しの議論の際に無視されていることがある。
例えば、雨が降るかもしれないことを知っていたが、雨具を持つのがめんどくさかったので、雨具を持たずに外へ出た。運悪く雨が降ってきてすっかり濡れてしまった。でも、濡れたことで天に悪態をつく奴はいないだろう。いや、たまにいるかw 酔っぱらいとかw でも普通はそんな悪態をつくやつを紳士とは誰も思わない。
雨が降る。雨具がない。濡れる。この三つの因果関係は、自然のルールで決まっている。それを誰も変えることはできない。だから、雨具がなくて濡れても怒る奴はいない。そのルールには誰の善意も悪意も存在しない。だから納得できる。
学校のルールも一緒。何でもないルールでも、そのルールの行使がなされたりなされなかったりすると、そのさじ加減をしているやつは意地悪だ、それはいじめだなんだって話になる。
きびしい母ちゃんがいて、脱いだ靴はきちんと揃えないとげんこつ食らう。例え子供の友達が遊びに来ていたとして、その子もルールを守らないと母ちゃんからげんこつをくらうとする。さて、現代ではこれは割りときびしい部類に入ると思う。しかし、そのルールが家族全員で実際に行われているのだとしたら?子供の友達が遊びに来たときには、神妙な顔で同じことをするだろう。この家のルールはこうなんだ、と。そこで、ひどい!いじめだ!なんて感覚はないだろう。
その組織にはルールがあり、そのルールを守らん奴は、必然的にげんこつを食らう。何が体罰なんだかわからんが、ただそれだけのことでいいんじゃないかね。
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